HOME|御問合せ|林陽寺の由来|電話番号:(058)243-1380
本尊 薬師如来  前立 聖観世音善薩
和尚のペ-ジ(23年度)
     林陽寺住職です。
 
今後ともよろしくお願いします。
 私の友人が書いてくれたイラスト です。
2011.12.
25
自殺防止に協力を!

自殺防止対策についての協カについて

岐阜県知古田 肇様より岐阜県精神保健福祉協会・岐阜県精神保健福祉センタ一を通じて岐阜県仏教会へ協力依頼がありました。
 自殺者が、平成
10年以降、毎年3万人を超えています。その原困は、平成20年を例にとると60%が「精神疾患」で、さらにその内約70%が「うつ病」とされています。よって地域の人々が「うつ病」や「うつ病の可能性のある方との接し方」に係る基礎知識を身に着け、それぞれの日常生活の中で見守りあうことにより、軽い症状のうちに専門医療機関の受信につなげ、ひいては明るい杜会の実現に寄与できると思います。そこで、「ゲ-トキ-パ一 クル-養成講座」が岐阜県内5圏域で開催されます。岐阜市では、平成24216()に岐阜県図書館多目的ホールにて開催されます。ゲ-トキ-パ一とは、「心の見守り隊」として応援する人の意味です。

 養成講座では、基礎知織等の習得のための講演をお聞きいただきます。養成講座の参加者には、「終了証書」が授与されます。ご寺院住職様は法務等で多くの人々と係っておられますので、是非この機会に「ゲ-トキ-パ一 クル-養成講座」を受講していただき、明るい杜会を築くために悩める人々を一人でも救っていただきたいとの趣旨でございます。また、檀信徒の皆様とも協力し合っいただきたいとのことです。
 岐阜県においても毎年400名近い方がお亡くなりになっておられます。寺院住職および檀信徒の皆様方のご協力をお願いいたします。

参加をご希望される方は、林陽寺までご連絡ください。電話058-243-1380
  下の写真は、岐阜市仏教会の仏教会・檀信徒会合同会議の様子です。


2011.12.24
aun
2011.12月号に林陽寺が紹介されました。

2011.12.
23 
冬至の夜、長良川で「こよみのよぶね」が行われました。監修は、日比野克彦さんです。
数字をかたどったあんどんを舟に乗せて川面を回遊 工夫を凝らした12個のあんどん
このあんどんは5月です
しんがりは兎さんでした

2011.12.
22 
「坂の上の雲」が話題になっています。

当山お檀家の子息が日露戦争のあのシ-ンで戦死されていました。ご冥福をお祈ります。

先日、あるお宅へお浄飯(お月経)に行き、机の上に『「坂の上の雲」がよくわかる・・・』という本が置いてあり、どうしたのと尋ねると、家の先祖は「203高地」で戦死しているのだと教えてくれた。エエ・・。と「過去帳」を開いてみると.明治371230日二龍山にて戦死と記載してあった。いつも過去帳をお読みしているのですが、ここまで読み切っていなかったために大変ご無礼なことなった。少ない檀家の中に日露戦争で戦死されているかたがお見えになるとはビックリです。

 日露戦争を調べてみると、難攻不落を誇ったロシア側の旅順要塞の守備兵力は3万5千名、これを攻囲した日本軍は延べ12万名、戦闘期間は155日だったが、旅順開城の時点で日本軍の死傷者は約6万、ロシア軍のそれは3万であったという。

 旅順陥落は明治3712月6日に203高地を占拠したことで戦局は日本に傾いた。日本軍の砲撃によるロシア太平洋艦隊の全滅。そのため、旅順は要塞としての価値は失われた。しかし、三大永久堡塁とされた東鶏冠山北堡塁、二龍山堡塁、松木山堡塁はまだ陥落したわけではない。203高地に橋頭堡を築いた日本軍は、12月18日に東鶏冠山堡塁の正面に2.3トンのダイナマイトを仕掛けて大爆発をおこさせ、この堡塁を占領した。そして28日には二竜山堡塁を、31日には松木山堡塁を次々と爆破して占領していった。年が明けた明治38年(1905)1月1日午前9時、第三軍は旅順市内に向けて一斉砲撃を開始した。2時間後にロシア軍司令部の屋上に白旗が掲げられ、敵将ステッセル司令官の降伏書簡を携えた軍使が、日本軍の第一師団の前哨を訪れてきた。とある。
 檀家の子息は、この二竜山堡塁で戦死されたのである。


 「「坂の上の雲」に見られる戦闘シ-ンは、いくら兵隊がいても足りないほどの死闘を繰り返す日々が続き、両軍の戦死者の数は目を覆うばかりである。明治22年(188902月大日本帝国憲法公布により、兵役が日本臣民の義務となり、徴兵制によって若者は戦場にかり出されたのである。

 明治維新より僅かの期間に、先進国に追いつけ追い越せの富国強兵策を取り、日本を近代国家へと押し上げた原点と言われる日清・日露の戦争は、計り知れない多くの命が奪われたのである。まだまだ国という体裁が調わない中、よくぞこんなことが出来たのか不思議に思う。当時を思うと、平成の今の時代、政治・経済・思想、すべてに一抹の不安を覚えるこの頃である。
 数年前、203高地にて慰霊法要を行った。檀家の子息の史実を知っていたならば、さらなる慰霊の旅になったであろうと残念に思った。全てに日々努力精進が必要である。

戦死された方のお墓 203高地の慰霊碑 慰霊の読経、後方に旅順港が見える 乃木・ステッセル両司令官の会見所-水師営

2011.12.17

2011.11.06岐阜市岩青少年育成会市民会議
40周年記念オユンナコンサ-トが中日新聞
ホ-ムニュ-ス156号に掲載されました。
2011.12.
13 
岐阜市総合計画策定のための市民意見交換会に参加しました。
東部コミセンにて開催
4連合自治会の関係者が集まり岐阜市の担当者から説明をうけました。 グル-プ討議を行い意見をカ-ドに書きました。川喜田先生のKJ法ですね。懐かしかった 最後にグル-プリ-ダ-が発表。時間がありませんね。それでも市民の意見を聞いたと言うことです。
2011.12.
11
当山成道会座禅会
前晩プチ修行反省会、翌朝坐禅、朝粥をいただいて解散。絆が薄れる中、新たな結びつくができました。又来る年に期待し、精進。

一品持ち寄りのプチ修行忘年反省会 坐禅一炷。釈迦出山画像の前で読経・法話を聞く 「五観の偈」を唱えてお粥をいただく。
2011.12.
10 深夜
皆既月食に挑戦。地球、太陽、月が一直線に、不思議ですね。

写真は難しいです。
22時54分 23時21分 0時36分
2011.12
10

近隣のお坊様の研修団体「青雲会」の皆様と成道会参禅会を行いました。
聖僧樣(文殊菩薩)を奉安 只管打坐、面壁し、ただひたすらに
2011.12.
04
青少年育成市民会議
校区一斉パトロ-ル

沢山の方が参加 校区の危険箇所を点検 通学路の説明
2011.11.
27

地域で防災訓練がありました。寺も第一次避難場所として緊急用品を少し揃えようと思います。
本部長の挨拶で始まりました 350名程が歩いて集まりました 煙のトンネルを経験しました
2011.11.
25

リンダ・オ-ハマ監督の講演会がありました。
沢山の方が耳を傾けました 被災地での出来事を語られました 「ふるさと」を歌いました
2011.11.23
ぎふ七福神大祭写真集。
ご苦労様でした。
有り難うございました。

2011.11.20
布袋尊大祭の前に七福神をお詣りしました。

智照院の恵比寿天 吉祥寺の弁天尊 弁天尊の前にて
2011.11.
19
「仏教ト-ク」
岐阜の有名な繁華街柳ヶ瀬の喫茶店「ビィカフェ」にて開催「人はどこから来てどこへ行くのか」「あの世とこの世」「地獄・極楽」「こころの宇宙を探求」などなど。
 日本民族の「タマ」信仰など仏教とは関わりのないところに、仏教が大切な役割を果たしていることを等話し合いました。
 水木しげる先生の「あの世事典」に興味深々。
2011.11.
18
第58回岐阜県梅花奉詠大会於恵那市明智町かえでホ-ルにて
梅花とは曹洞宗の御詠歌のことです。お役の一人として参加、初めて明智町にいきました。
明智町は、悲運の名将明智光秀の生誕の地としても広く知られています。大正期には製糸業で栄え、西洋文化の影響を受けた当時の建物が残り、それらを生かして昭和59年に日本大正村を開村。現在の村長は、司葉子さんです。
大正元年が今から100年前とのこと。通りにて 正面が元小学校の絵画館、右側が役場の石畳の通り。
2011.11.10~11
東日本大震災現地へ
友人の寺も被災し、大変気にしておりましたがやっと、お見舞いに行ってきました。末永い支援が必要です。
地震による被害、復旧が大変です
津波による被害、跡形もありません
2011.11.08~09
曹洞宗教誨師研修会 
講演二題

(於東京)
戦艦大和最後の語り部 八杉康夫氏

 重油の海 
 「不沈戦艦大和」の衝撃の沈没は、正に晴天の霹靂であった。40度をこえる傾斜の中、狭いハッチからの脱出、逆巻く巨大な渦中での死との対決、そして重油の海での漂流中、うねりの波問に生と死に悩み、信じられない地獄を見たのは、私が17歳の春であつた。(講師プロ-フィ-ルより)
  戦争の空しさと生命の尊さを知る貴重な講演でした

元警視庁刑事部参事官 佐久間正法氏

○ありがとうと感謝の「心」を大切にすることが『カギ』

 昨今、ありがとうと感謝する心、素直に感激し、感動する心が失われているような気がする。「蔵の宝より身の宝、身の宝より心の宝、心の宝を得る者こそ人生最上の幸福者なり。」どんなに財産・資産や学歴・資格があろうと、他人から慕われ、ありがとう・お陰さまでと他人から感謝される「心」を得た者こそが、人生では最良の幸せ者なのではないだろうか。捜査第一課長就任時の会見で、座右の銘はと聞かれ「心を大切に」と応えた。それは、「心で接しなければ情報などは取れない。心がなければ被害者の真の気持ちも理解できないし、被害者の無念の心など分かるはずもない。また、心が通じ合わなければ被疑者も落ちないし、捜査員に心がなければ、一体となった組織捜査はできない。」のだから。
  
  (配布資料-捜査随想「私の捜査観より」-)
 
  オウム真理教事件の捜査を中心としての貴重な講演でした。

2011.11.06
岐阜市岩青少年育成会市民会議
40周年記念コンサ-ト
モンゴルのオユンナさんを迎えコンサ-トを開きました。 会長として、皆さんのご協力に感謝します。有り難うございました。
4年生の合唱・合奏を聴きました。 オユンナさんの素晴らしい歌声でした。 オユンナさんアマルバヤル(馬頭琴奏者)
さんに花束贈呈
2011.11.04
100歳まで生きられますか!
小学校1年生の担任の先生が100歳を迎えられました。お元気でした。ビックリです。おめでとうございます。
100歳の先生の作品の数々
昭和28年の岩小学校入学写真
2011.10.
31
布教研修会

 「災害と人権」と題し、山形県の三部義道老師のお話は、内容が豊富でした。特に、ボランティアと道元禅師の教えとの関わりについて感銘を受けました。
 また、災害時の寺の役割についても示唆に富んだお話でした。
ボランティアとは、ボランタスというラテン語からきている。自主性とか自発性。あるいは「ボルケーノ」という語源説。つまり、火山(マグマがはち切れんばかりに爆発、噴火する)我々の行動も何とかしなければならないという熱い思いが行動として駆り立てる。日本の社会では「ただ働きという感じ」で誤解されやすい・・。
日本語に置き換えるとするならば
「利行」であろう。報恩の態度を具体的に実践する理念は道元禅師さまが強調された四摂法(布施・愛語・利行・同事)の中の3番目の報恩行である。 
「利行は一方なりあまねく利他を利するなり。」その前に「愚人謂わくは利佗を先とせば自らが利省れぬしと」この意味は「この道理の分からない人は、人を先に救ってしまえば自分の幸せの分がへるのではないかあるいは遅くなるのではないか。」と思うだろう。「そうではない」「利行は一方なりあまねく利他を利するなり。」「利他を利するなり」とは、「自分と他人が一緒に救われる。時間差がない。これが利行の大切なところである。」
 人間は人と人との関わり合いの中で生きている存在だとすれば、たった一人の幸せというものは無いのではないか。幸せは、人と分かち合って感じるものである。だとすれば、自分が幸せを感じるということは相手を幸せにすることである。どんな困難な状況の中においても、私は一人ではないと思うから。だから生きていけるのだと思う。
人の幸せを喜ぶことの出きる人は幸せな人。人の幸せを喜べない人は幸になれない人。人の不幸を喜ぶ人は不幸な人。ということだなと常に思っている。
とすれば、このボランティアという行為、利行という行為は、まさに自らを救う、自らを幸せにする行為であると受け止めなければならない。そのことを、多くの人達に曹洞宗の教えとして伝えていかなければならない使命を我々は持っている。・・・・。
2011.10.
25~27
西国三十三観音霊場巡拝
古くから親しまれている観音様を巡る旅です。中でも西国は八世紀に始まるとされています。今回が満願の旅でした。
27番圓教寺
ラスト・サムライ
のロケ地
24番中山寺
腹帯祈祷で有名
エスカレ-タ-あり
33番華厳寺(谷汲)
満願打止めの寺
2011.10.
22
夜坐の後「永平寺に学ぶ-食の作法」見る

禅宗でいう食物の三徳。すなわち、「軽軟」(あっさりとしている)、「浄潔」(清潔である)、「如法作」(規則通りにできているか心配りはよいか)。これに「五味」(甘・辛・鹹・苦・酸)に「淡」を加え、三徳六味という。一つ一つのもつ食材の持ち味を最大限に生かした味付けを「五味」(苦い、酸っぱい、甘い、辛い、しょっぱい)を使って効果的に組み合わせ、最後の六つ目の「淡い」を引き出すことが重要だという。「食は修行、心配り目配りした食事は、子どもの愛情を育む」いわゆる食育の原点です。

食べるのではなく、いただく
早すぎても遅すぎてもいけない
2011.10.
16
青少年健全育成大会(青少年とのふれあい)
ブロック育成会の行事として開催「ディベ-ト」を実施。お役の一人として参加
中学生や高校生が参加 日本はサマ-タイム制を導入すべきである。是か非か 学校給食は要らないのではないか。是か非か。
2011.10.
12
福井県越前市
『御誕生寺』参拝
一度お伺いしたいと思っていました。ご縁に恵まれ訪問禅師様の御薫陶をうけました。

瑩山禅師様は、今から750年ほど前、越前の国、武生にお生まれになりました。道元禅師様が永平寺を建て、禅の道を伝えられたのが曹洞宗の始まりですが、その禅の教えを一般の人々にまで広め、全国各地に多くの寺院が建つ基礎を築かれたのが瑩山禅師様です。禅師様の生誕地に「瑩山禅師の御誕生寺」を建設する計画は、数十年前よりありました。近年、地元篤信者の御支援により、広大な境内地の寄進を受け、整備がはじまりました。現在、總持寺を退董された板橋禅師を中心に、十数名の僧俗の方が、坐禅と托鉢、そして作務の毎日を送っておられます。平成21年に公認の修行道場となりました。禅師様は、「百歳現役」の意気込みで努力したいと述べられています。

2011.10.
08
長良川おんぱく
提供プログラム。担当「寺ムスメ」
当山のプログラムは多くの参加者を得て「癒されヨガと情熱サルサ」終了しました。有り難うございました。
癒されヨガ 情熱サルサ  タコスで接待
2011.10.
06
駒大同窓会岐阜支部例会で名古屋ド-ムへ
初めてド-ムへいきました。駒大野球部の前太田監督も同席され愉快な観戦となり、中日が広島に勝ち首位に踊りでた試合でした。
ド-ムはきれいです 太田監督と一緒に  応援に熱が入る
2011.10.
02
市民運動会
10月第1日曜日は市民運動会です。お役の1人として参加。子どもと走りました。51回を迎えたそうです。
校長先生の挨拶 老人クラブおどり  お父さんガンバッテ
2011.09.
28
わの会研修
わの会母親カウンセラ-
ネットワ-ク9月例会が19名の参加者を得て開催されました。有意義な時間でした。
本堂にて坐禅 庫裡にて写経  最後に本堂にて読経
2011.09.
20~26
彼岸
彼岸ですね。太陽は真西に沈み一層早く暗さを感じます。月が皎皎と輝き、虫の音も一層うつくしく感じます。
真西に沈む太陽 月光を浴びての坐禅  虫の音もすばらしい
2011.09.
 19
敬老会に
参加
地区の敬老会にお役の一人として参加。76歳以上の方々が120名程。団塊の世代の我々の時代は80歳以上かな。
公民館に集合   乾杯はお茶で     余興も多彩
2011.09.
 14~16
永平寺研修
久しぶりに檀信徒の皆様方と永平寺にて研修し道元禅師様の御心に触れました。
五代杉の奥に勅使門  禅師の御心
    杓底一残水
  
  流汲千億人
  2011.09.12
 
 青少年育成会
小学校児童の下校指導と安全マップ作成

   
岩青少年育成会の会長をしています。時々小中学校行事に協力しています。今日は、子ども達と一緒に下校し、危険な箇所を点検しました。