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2012.12.29
初詣は決まりましたか。月刊「ぷらざ」2013年開運スポットとして紹介されました。「ぎふ七福神」へどうぞ。
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2012.12.09
今年最後の坐禅、初めての方を含めて16人の壮・青年が参禅。成道会に因、お粥をいただきました。
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最後の坐禅。 |
五観の偈をお唱えして。 |
粥を頂きました。 |
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2012.12.08
今日は仏教徒にとって最も大切な日です。釈迦が仏陀に成られた尊いひです。柳ヶ瀬の喫茶店で集いを持ちました。
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お話しを聞きました。 |
イス坐禅をしました。 |
色々お話ししました。 |
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2012.11.24
「ワンコイン忘年会」忘年会シ−ズンになりました。ワンコインのメンバ−もワイワイガヤガヤ。
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ご馳走がならびました! |
素早く手が出ます! |
篠笛の演奏も聞きました! |
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2012.11.04
「夢づくりふれあいファステバル」が開催されました。老若男女が楽しみました。
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豚汁を400人分作りました。! |
わら細工を習いました。 |
子ども達の歌を聞きました。 |
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2012.11.03
「秋の天体観望会」の様子です。行列が出来るほど盛会でした。
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早く見たいな! |
コンピュ-タ-で制御 |
土星が見えたよ! |
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2012.10.20
「kidsJazz」が開催されました。本堂一杯に幼児が戯れました。
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本堂一杯の幼児と親御さん |
JAZZを聞く |
私にもマイク頂戴 |
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2012.09.01
「芥見岩っこ」バスの試行運転出発式。お役の一人としてお手伝いしました。
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市長さん達がテ−プカット |
友人の連合自治会長の挨拶 |
寺の前のバス停 |
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2012.08.18
中日岐阜ホ-ムニュ-スに子ども禅の集いが特集されました。
に |
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2012.07.27
プチ修行
中日文化センタ−主催
「緑陰の禅寺でプチ修行」一コマ
暑い一日でした。
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一時、仏様になりました |
一字一字心をこめて |
精進料理をいただきました |
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2012.07.05
岐阜市の東部、岩田のお檀家の庭先に鹿が訪問しました。奥様と鉢合わせ。お月経もそこそこにビックリ話でした。
岐阜新聞より。 |
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2012.05.21
金環日食観察 友人が針穴で写真を撮ろうと誘ってくれました。
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針の穴を通しての1枚 |
直接レジカメを太陽に右下注目 |
右下注目の日食の一部 |
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2012.05.14
プチ修行
中日文化センタ−主催
「新緑の禅寺でプチ修行」一コマ
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あなたも坐りませんか |
写経をしてみませんか |
静かに食事をしてみませんか |
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2012.05.08
今、
「いのち」
の尊厳が叫ばれています。いのちの大切さを教えていただきましたお釈迦様の生誕を祝う花祭りが行われました |
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ぎふ中央花まつり式典
金公園にて |
柳ヶ瀬高島屋前にて甘茶接待
仏教会・檀信徒会共催 |
象さんを引いてパレ−ド
岐阜県仏教保育協会と共催
1300名もの園児たち |
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2012.03.25
しだれ桜コンサ-ト
例年ですと桜は二部か三部咲きですが、朝から冬型で雪模様。残念。それでも多くの方々に来ていただき無事おわりました。 |
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第一部 ショパンの幻想即興曲 作品66。 |
多くのお客様が本堂に集まりました。 |
最後は「故郷」を皆で歌いました。 |
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2012.03.18
4月1日より林陽寺前の市道が拡幅されます。国道156号線よりリバ−サイドに至る道路です。工事中ですので気をつけておいで下さい。 |
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市道は拡幅工事中です。 |
国道のバイパスは工事中。開通は来年となります。 |
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2012.02.16
ゲ-ト・キ-パ-とは、自殺予防の分野においては、地域や職場、教育の分野において、自殺のサインに気付き、見守りを行い、専門相談機関による相談へつなぐ役割が期待される人材のこと。300名の人が研修を受け、修了証を頂きました。 |
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逃げる場所(本堂)、頼れる人・支える人(住職・檀家)が揃っている寺院がかっては力を発揮していたが、その力が衰えている・・・と茂氏は語る。 |
日本における自殺死亡者の推移において98年以降の3万人超の数字は、山県市の人口であり、JR岐阜駅の一日の乗員数であると・・・石井先生は語る。 |
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「いのちつないで−無縁社会から有縁社会−」
2012.02.04 |
教区の皆様方と人権研修会を開催しました。曹洞宗人権擁護推進本部より配布されましたDVD「いのちつないで−無縁社会から有縁社会−」を鑑賞し、話し合いしました。我々仏教者が使用するいのちは、医学的な「生命」ではなく「いのち」であろう。「いのち」は支えられ生かされている存在。山川草木に生かされている「いのち」を大切にしていくのが仏教である。自分の「いのち」を大切にすることは、即ち他の「いのち」も大切にすることである。
無縁社会から有縁社会とは、一面、「いのち」を救うことでもある。社会のシステムが今縁遠くしているとも言える。道を尋ねることもなくナビが誘導してくれる。言葉を交わすこともなくメ−ルが代行してくれる。そこには、「慈悲」の気持ちも「いのち」のやりとりもない。「喫茶去」という禅語がある。「まあ、お茶を一服めしあがれ」。私の師匠の時代は、こんな光景が頻繁であった。カビの生えた饅頭でもすばらしいひとときであった。これを縁側コミュニケ−シュンという。今はピンポンの時代、なかなか縁を結ぶ機会は少ない。
新たな縁を求めたいと願い人々は多い。我々に出来ることは、少しでも寺の門をくぐっていただくことにある。そのキ−ワ−ドは、坐禅・写経・写仏など我らの身近なところにあるような気がする。そこから新たな有縁社会を築く努力が求められる。できる範囲で寺を開放しましょう。
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法話研修
(任に当たって他に譲りがたし) |
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